14.五体満足=幸せ、は本当か

「五体満足でよかったね」

何気なく使われるこの言葉に、違和感を覚えたことはないだろうか。

手も足も自由に動く。

見える、聞こえる、話せる。

それが「当たり前」であり、「幸せの基準」のように語られることがある。

では、その基準に当てはまらない人は、幸せではないのだろうか。

障害があるというだけで、「大変だね」「かわいそうだね」と言われることがある。

その言葉の奥には、「自分より不自由だから不幸だろう」という前提が、どこかにあるように感じる。

でも、本当にそうなのだろうか。

Flowerの中で、こんな声があった。

「私たちは、大変だと思っていない」

生まれたときからこの体で生きてきた。

この体で過ごす毎日が、自分にとっての“普通”。

だから、「大変でしょう」と言われても、しっくりこないことがある。

もちろん、不便なことはある。

できないこともあるし、困る場面もある。

それでも、それがそのまま「不幸」につながるわけではない。

一方で、事故や病気で途中から障害を持つことになった人は、また違う感じ方をすることもある。

以前できていたことができなくなる。

生活が大きく変わる。

その中で、「つらい」と感じるのは自然なことだと思う。

だからこそ、「幸せかどうか」は、単純に身体の状態だけで決められるものではない。

同じ「障害がある」という状況でも、感じ方は人それぞれ違う。

それなのに、「五体満足=幸せ」という前提で見てしまうと、

その人の本当の姿が見えなくなってしまう。

もしかしたら、私たちは“わかりやすい基準”に頼りすぎているのかもしれない。

見た目で判断できるもの。

比べやすいもの。

そういうものを基準にしてしまうと、「わかりやすい幸せ」と「わかりにくい幸せ」が生まれる。

でも、本来の幸せは、もっと個人的で、もっと曖昧なもののはずだ。

誰かと笑えること。

やりたいことに挑戦できること。

自分で選んで生きていけること。

そういう一つひとつの積み重ねの中に、あるのかもしれない。

障害があるかどうかではなく、

どう生きているか。

それが、その人にとっての幸せをつくっていく。

「五体満足=幸せ」

その考えが、完全に間違っているとは言えないかもしれない。

でも、それだけで人の幸せを測ることはできない。

そう気づいたとき、

見えてくる世界は、少しだけ広くなるのかもしれない。

脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

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