13.「障害者であること」を認める必要はあるのか
「自分の障害を受け入れなさい」
そう言われたことがある人は、少なくないと思う。
前向きに生きるために。
自分らしくあるために。
その言葉は、きっと善意から出ている。
でも、その言葉に、どこか引っかかることもある。
——本当に、認めないといけないのだろうか。
障害があるという事実は、変えられない。
それは頭ではわかっている。
でも、「受け入れる」ということと、「納得できる」ということは、同じではない。
受け入れようとしても、できない日がある。
どうして自分だけ、と思ってしまう日もある。
それは、弱さなのだろうか。
Flowerの中でも、このテーマは何度も話し合われてきた。
「障害者であることを認めないといけないのか?」
その問いに、はっきりとした答えは出なかった。
ある人は、「受け入れることで楽になった」と言う。
別の人は、「無理に受け入れようとすると、逆に苦しくなる」と言う。
どちらも、本当の気持ちだと思う。
だからこそ、一つの答えにまとめることはできない。
そもそも、「認める」とはどういうことなのだろう。
「障害がある自分でもいい」と思うことなのか。
「これが自分だ」と納得することなのか。
それとも、「気にしないで生きていく」ことなのか。
人によって、その意味は違う。
そして、その状態にたどり着くまでの時間も違う。
すぐに受け入れられる人もいれば、
何年もかかる人もいる。
あるいは、一生かかっても、完全には納得できないかもしれない。
それでも、いいのだと思う。
無理に答えを出さなくてもいい。
大切なのは、「どうあるべきか」ではなく、
「今、自分がどう感じているか」なのかもしれない。
障害を意識せずに過ごせる日もあれば、
強く意識せざるを得ない日もある。
その揺れの中で、人は生きている。
あるメンバーがこんなことを言っていた。
「この体で生きてきたから、これが自分にとっての普通」
その言葉には、無理に納得しようとする感じはなかった。
ただ、今の自分をそのまま見ているような、そんな感覚だった。
もしかしたら、「認める」という言葉にこだわりすぎなくてもいいのかもしれない。
受け入れるでもなく、否定するでもなく、
ただ「そういう自分がいる」と思えること。
それも一つの在り方だと思う。
「障害者であること」を認めるべきかどうか。
その問いに、正解はない。
でも、その問いを持ち続けること自体が、
自分と向き合うことなのかもしれない。
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