12.助けるでも助けられるでもない関係へ

人と人との関係は、「助ける側」と「助けられる側」に分けられるものなのだろうか。

これまでの中で、何度もその問いにぶつかってきた。

困っている人がいれば助ける。

支えが必要な人がいれば手を差し伸べる。

それは、とても大切なことだと思う。

でも、その関係が続いていくうちに、どこかで違和感が生まれることもある。

「いつも助けてもらっている側」

「いつも助けている側」

そんなふうに役割が固定されてしまうと、関係は少し窮屈になる。

本当は、その人にもできることがある。

本当は、自分も誰かに頼りたいときがある。

それでも、「助ける側」「助けられる側」という枠があると、そのバランスは見えにくくなる。

Flowerで話していると、こんな感覚にたどり着くことがある。

「お互いに必要なときに、自然に手を出せる関係がいい」

それは、どちらか一方が支える関係ではない。

そのときどきで、立場が変わる関係だ。

ある場面では支えてもらい、

別の場面では自分が支える。

そうやって、行ったり来たりしながら、関係が成り立っていく。

考えてみれば、私たちの日常もそうかもしれない。

誰かに話を聞いてもらう日もあれば、

誰かの話を聞く日もある。

頼ることもあれば、頼られることもある。

それをわざわざ「助けている」「助けられている」と意識することは、あまりない。

ただ、一緒に過ごしている。

でも、障害のある人とない人の関係になると、その自然さが少し難しくなる。

どうしても、「支援」という言葉が先に立つ。

もちろん、それが必要な場面もある。

でも、その枠だけで関係を見てしまうと、本来のつながりが見えなくなってしまう。

あるメンバーがこんなことを言っていた。

「一人のためにしたことが、みんなのためになることもある」

その言葉には、「誰かのため」と「みんなのため」が分かれていない感覚があった。

助けることが特別な行為ではなく、自然な流れの中にある。

そんな関係が広がっていけば、「助ける」「助けられる」という言葉自体、あまり必要なくなるのかもしれない。

もちろん、現実はそんなに簡単ではない。

立場の違いや、できることの違いは確かにある。

でも、その違いをそのままにした上で、どう関わるか。

そこに、可能性があるように思う。

役割でつながるのではなく、

人としてつながること。

その中で、必要なときに手を差し伸べる。

必要なときに、素直に頼る。

そのやりとりが、自然に行き来する関係。

それが、「助けるでも助けられるでもない関係」なのかもしれない。

特別なことをしなくてもいい。

ただ、同じ時間を過ごして、同じ空間にいる。

その積み重ねの中で、関係は少しずつ形になっていく。

名前をつけるとしたら、それはきっと、とてもシンプルなものになる。

——友達、なのかもしれない。

脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

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