障がいを越えて見えた“支え合い”の力|親子で育つ子育てのかたち
子育てをしていると、「こうあるべき」「もっと頑張らなきゃ」という言葉に押しつぶされそうになることがあります。
特に、障がいを抱えながら子どもを育てる親にとって、“できないこと”と向き合う毎日は、想像以上に苦しいもの。
けれど、親子の成長に“正解”なんてないのかもしれません。
完璧を目指すよりも、支え合いながら進むことで見えてくるものがある──。
本記事では、障がいを持つ親として経験してきた葛藤や気づきを通して、「支え合う力」がどんなふうに親子の絆を育てていくのかをお伝えします。
「私もこれでいいのかも」と、少し心が軽くなるきっかけになれば幸いです。
障がいとともに歩んだ子育て、その軌跡
障がいを持ちながら子育てをすることは、思っていた以上に試行錯誤の連続です。
思い通りにいかない現実の中でも、支えてくれる人や小さな気づきがありました。
ここでは、コラムシリーズ「障がい者子育てリアル」の歩みを通して、親子がどんなふうに変わっていったのかを振り返ります。
コラムシリーズ「障がい者子育てリアル」
障がい者ママのリアルな子育て|できないことを責めないで。『頼る勇気』が親子を救う
障がいのある親を持つ子どもたちの本音|恥ずかしい?誇らしい?その複雑な想い
コラムシリーズ「障がい者子育てリアル」を振り返る:私たちの出発点と変化
このシリーズは、「障がいと子育て」というテーマの中で、私自身の体験を少しずつ言葉にしてきた記録です。
初めは、「どうして自分だけが」と思うことの方が多く、前を向く余裕さえありませんでした。
けれど、書くことで気持ちが整理され、少しずつ“見えなかった支え”に気づくようになりました。
親として、子として、共に成長していく姿を実感できたことが、この連載の中でのいちばんの変化です。
障がいを抱えて妊娠・出産したということ
障がいを持つ体での妊娠・出産には、たくさんの不安がつきまといました。
「無事に産めるのか」「母親としてやっていけるのか」――そんな問いが頭から離れませんでした。
それでも、医師や家族、支援員の方たちに支えられ、命を迎える準備が少しずつ整っていきました。
思うように動けない体でも、「わが子を守りたい」という気持ちは誰よりも強かった。
その想いが、出産という大きな壁を乗り越える力になりました。
あの瞬間、「できないことがあっても、私なりの母になればいい」と心の中で決意したのを、今でも覚えています。
抱っこできない・育児日記・頼る勇気から見えたもの
赤ちゃんを抱っこできない――母親として一番したかったことができない現実に、心が折れそうになった時期がありました。
でもその代わりに、私は「育児日記」という方法で、娘との時間を記録することにしました。
日々の成長を書き留めながら、「今日も笑ってくれた」「初めて“まま”と言った」と、できることを見つめ直す時間。
それは、私にとって“母としての参加の形”になっていきました。
また、支援員さんや友人に頼ることも、はじめは抵抗がありました。
けれど、「頼ることは弱さじゃない」と気づいた時、心の中に少し光が差した気がしました。
人の手を借りながら育てることも、立派な子育て。
むしろ、その姿を娘が見て育つことで、「支え合う力」を自然に学んでくれていると感じます。
子どもから見た障がいのある親という存在
やがて娘は成長し、自分の目で“障がいのある親”を見つめるようになりました。
「お母さんはどうして車いすなの?」と聞かれたとき、私は正直に伝えました。
その日から、娘は私を“かわいそうな人”ではなく、“一緒に生きる仲間”として見てくれるようになったのです。
学校の作文に「お母さんはできないこともあるけど、工夫してがんばる人」と書いていたのを見たとき、涙が止まりませんでした。
子どもは、親の姿からたくさんのことを学びます。
そして、障がいを持つ親だからこそ、伝えられる優しさや強さもある。
そう信じられるようになったのは、娘という存在が教えてくれたからです。
「障がいと子育て」は決して楽な道ではありません。
けれど、その歩みの中には、確かに“支え合う力”が芽生え、親子の絆が深まっていく瞬間があるのです。
“できない”と向き合った日々から得た発見
障がいを持つ親にとって、「できないこと」と向き合う時間は避けられません。
でも、その中には、今まで気づかなかった“強さ”や“優しさ”が隠れていることもあります。
ここでは、私が「できない」と思っていた日々から、どんな発見を得たのかをたどります。
できないことを数えた日々の記録
子育てが始まってすぐ、私は「自分にできないこと」を毎日のように数えていました。
料理も、着替えも、抱っこも、人並みにこなせない。
そんな現実に押しつぶされ、何度も涙がこぼれました。
周りのママたちと比べてしまうたび、「私だけが母親失格なんじゃないか」と感じることも。
それでも、娘が笑ってくれる瞬間だけは、少しだけ心が軽くなりました。
“できない”という言葉の中にも、確かに“できている”ことがあったのです。
自分の限界を知ること=親としての出発点
「できない」と向き合うことは、苦しみではなく“出発点”だったのかもしれません。
体が思うように動かない分、私は「どうすればできるか」を考えるようになりました。
手が届かないなら工夫すればいい。
全部できなくても、できる部分を大切にすればいい。
限界を知ることで、「誰かに助けてもらう勇気」や「任せる力」が育っていきました。
その時、子育ては“ひとりで抱えるもの”ではなく、“誰かと一緒に育てるもの”だと気づいたのです。
“できない”から“できる方法を探す”へ切り替えた瞬間
ある日、娘が「ママ、できないならこうすれば?」と提案してくれたことがありました。
その小さな一言に、胸を打たれました。
私が諦めようとしていたことを、娘は“別のやり方”で叶えようとしてくれたのです。
その瞬間、「親が教えるだけじゃなく、子どもに教えられることもある」と気づきました。
できないから終わりではなく、工夫してみる、頼ってみる、やり方を変えてみる。
そこにこそ、“親子で成長する力”がありました。
発見した“支え合う力”の芽生え
“できない”と向き合う中で、私は本当の「支え合い」を学びました。
支えられる側でいることに、恥ずかしさを感じていた頃もありました。
けれど、支えられる経験を重ねるうちに、人との関わり方が変わっていったのです。
助けてもらったら「ありがとう」と伝える。
その言葉が、また次の優しさを生む。
気づけば、私も誰かを励ます立場になっていました。
“支え合う力”とは、誰かを助けることだけではありません。
助けを受け取り、それを循環させる力。
それが、私が“できない日々”の中で見つけた一番の発見でした。
「できないこと」を受け入れることは、決して弱さではない。
むしろ、そこから始まる“支え合いの物語”こそが、私たち親子の強さを育ててくれたのだと思います。
支え合いが育てる親子の絆と成長
子育ては「親が子どもを支えるもの」と思われがちですが、実際はそう単純ではありません。
支える側と支えられる側、その境界はあいまいで、時に入れ替わることもあります。
障がいを持つ親として歩んできた中で感じたのは、「支え合い」が親子の成長を深く育てるということでした。
親も子も、支え合う側にも支えられる側にもなる
子どもを育てながら気づいたのは、親だからといって“常に強くあらねばならない”わけではないということ。
身体の不自由さから、できないこともたくさんあります。けれど、そんなとき娘が自然に手を差し伸べてくれる瞬間がありました。
例えば、買い物袋を持ってくれたり、外出先で車いすを押してくれたり。
「お母さん、大丈夫?」という小さな一言が、どんな励ましよりも温かく胸に届きます。
支えるのは親だけではない。
子どももまた、人を想い、行動できる存在。
支え合いとは、“お互いを思いやる心の循環”なのだと教えられました。
家族・支援者・地域:いくつもの“手”が紡ぐ関わり
親子の絆を支えてくれたのは、家族だけではありません。
近所の人や保育園の先生、友人たち、そして地域の支援者。
いくつもの“手”が差し伸べられ、そのひとつひとつが私たちの生活をやさしく包んでくれました。
支援とは、特別なことをすることではなく、「気づいて声をかける」「ちょっと手を貸す」——そんな日常の中にあるもの。
誰かが少し手を貸してくれるだけで、世界の見え方が変わる。
その温かさにふれるたび、人とのつながりの力を実感しました。
そして、私もまた、誰かの力になりたいと思うようになりました。
支えられる経験が、人を支える力に変わっていく。
それが、社会の中で生きるということなのかもしれません。
子どもが親を安心させてくれた瞬間
ある日、娘が学校での出来事を話してくれたときのこと。
「お母さんが困ったら、私が助けるね」と笑いながら言ってくれました。
その言葉に、涙が出そうになりました。
私がいつも「人に頼ることを恐れないでね」と伝えてきたことが、ちゃんと娘の心に届いていた。
頼ることも、助けることも、どちらも“思いやり”の形。
親が教えたつもりで、実は子どもから教えられていたのだと気づきました。
親子の関係は、一方通行ではなく“育ち合い”。
娘が私を安心させ、私が娘を励ます。
その繰り返しが、絆を少しずつ強くしていくのです。
支え合いを通じて育まれた“安心の連鎖”
支え合うことを通して、私たち親子の間には“安心の連鎖”が生まれました。
誰かに頼ることで、心が軽くなり、笑顔が戻る。
その笑顔がまた、周りの人を安心させ、優しさを広げていく。
最初は「助けてもらうのが申し訳ない」と感じていた私。
けれど、支え合いの輪の中にいるうちに、それが「生きる力」だと分かりました。
支え合うことで、人は強くなれる。
その強さは、競い合うものではなく、寄り添う力のこと。
障がいがあってもなくても、支え合う心があれば、親も子も確かに成長できる。
それこそが、私たちがたどり着いた“絆のかたち”です。
社会・地域・仲間が紡ぐ“共育ち”の環境
社会・地域・仲間という“場”が、障がいを持つ親子にとって大きな支えとなることがあります。
「ひとりじゃない」と感じられるコミュニティがあるからこそ、親子で育つ力が育まれていくのです。
ここからは、制度・地域・仲間それぞれの関わりが、どんなふうに“共育ち”の環境を紡いでいくかを見ていきます。
制度・地域・同じ境遇の仲間の力(当事者同士の支え合い)
障がいを持つ親や子どもを支えるためには、法律や制度が土台となります。例えば、NPO法人 ぷるすあるは が運営するサイト「子ども情報ステーション」では、精神障がいやこころの不調を抱える親と子どもを応援する情報が用意されています。 子ども情報ステーション by ぷるすあるは+1
また、地域に根差した支援も重要で、当事者同士で語り合う場が「安心できる居場所」に変わることもあります。 子ども情報ステーション by ぷるすあるは+1
制度と地域、そして“同じ境遇の仲間”が揃うことで、親子が孤立せずに支え合える関係が生まれていきます。
地域が「支え合いの場」になるために必要なこと
地域が安心して暮らせる場所であるためには、「支え合いの場」が日常の中にあることがカギです。例えば、地域住民が交流し、困ったときに声をかけあえる仕組みづくりが進められています。 東海市公式サイト+1
住民が“他人ごとではない”という意識を持ち、顔の見える関係をつくることが、支え合いを可能にします。 社会福祉法人 久留米市社会福祉協議会+1
こうした環境では、障がいのある親子も「助けていいんだ」「頼ってもいいんだ」と安心して暮らせるようになります。
親子で「ひとりじゃない」と感じられた体験
私自身、地域の子育てサロンで他の親子と出会った時、「ああ、自分だけじゃない」と感じた瞬間がありました。
障がいを持つ母親という立場の中で、似た境遇の方と話すことで、不安が口にできるようになったのです。
その出会いが、「私たちは支え合っていい」という気づきに変わり、娘との日々に少しずつ余裕が生まれました。
親も子も、地域や仲間を通じて“ひとりじゃない”という実感を得ることが、成長の糧になります。
障がいを越えて共に育つ社会へのビジョン
支え合いの輪が広がれば、障がいの有無にかかわらず、親子が共に育つ社会が実現します。
制度や仕組みを整えるだけでなく、地域の温かな関わりを日常にすることが大切です。
例えば、地域のボランティア、学校、福祉団体が協力して、誰もが安心できる環境づくりに取り組んでいます。 厚生労働省+1
親子が“支え合いの中で育つ”という当たり前が、もっと広がることを願って。
“共育ち”の社会は、私たち一人ひとりの小さな関わりから育まれていくものです。
地域・制度・仲間という三つの視点から見た“共育ち”の環境。
障がいを持つ親子にとって、それは孤立を防ぎ、安心して育つための大きな支え。
「ひとりじゃない」と感じられる日常が、親子の成長をさらに深めていくのです。
正解を探さないでいい、親子で育つ実感
子育てをしていると、「これでいいのかな」と不安になることがあります。
でも、子どもと向き合う日々の中に“正解”はありません。
大切なのは、完璧を目指すことではなく、親も子も一緒に成長していくこと。
ここでは、親子で育ち合うという視点から「子育ての本当の意味」を見つめていきます。
“育てる”だけじゃなく“育てられている”という視点
子どもを育てているつもりが、実は親のほうが育てられている——そんな瞬間があります。
娘の笑顔に励まされたり、失敗から学んだり。
小さなできごとが、私にとって大きな気づきをくれるのです。
障がいを抱えながらの子育ては、うまくいかないことも多いけれど、だからこそ見える景色があります。
子どもが成長していく姿を通して、自分自身の考え方や心の持ち方も少しずつ変わっていく。
“育てる”と“育てられる”が重なり合いながら、親子の絆は深まっていくのだと思います。
完璧を求めない子育ての喜びとゆるさ
「もっとこうしなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と思いすぎると、心が疲れてしまいます。
特に障がいがあると、周りと比べてしまうこともある。
でも、子育てに“完璧”は必要ありません。
大切なのは、うまくいかない日を責めないこと。
泣いてしまっても、家事が進まなくても、それも生きている証。
ときには、力を抜いて「今日はここまででいいか」と笑えることが、親にとっても子にとっても救いになります。
“ゆるさ”があるから、心が動く余白が生まれる。
その余白が、親子の成長を支える土台になるのです。
親自身が育つからこそ、子どもも育つ
子どもを見ていると、「あの頃の自分よりずっと強いな」と感じることがあります。
素直に気持ちを表現したり、困っている人に手を差し伸べたり。
そんな姿を見て、私自身も学ばされることばかりです。
子どもは親の背中を見て育つと言われますが、実際には“共に育っている”関係。
親が挑戦し続ける姿を見せることで、子どもも自分を信じる力を育てていく。
親が成長を止めない限り、子どもの世界も広がり続けるのです。
“親子の成長に正解はない”というメッセージ
社会の中には、理想の親や子育て像がたくさんあります。
けれど、そこに合わせようとすると苦しくなることも。
誰かの正解は、自分にとっての正解ではないのです。
障がいを抱えながらの子育てを通して、私は「比べるより、感じること」を大切にしてきました。
今日できた小さな一歩、笑い合えた時間。
その積み重ねこそが、私たち親子の“答え”なのかもしれません。
親も子も、未完成のままでいい。
間違いながら、悩みながら、それでも前に進んでいく——。
その歩みの中に、きっと“育ち合う喜び”があるのです。
これからの私たちへ──支え合いを次世代に
どんな時代でも、親子の形は一つではありません。障がいがあるなしに関わらず、誰もが「支え合う力」を通して成長していきます。ここでは、私たちが次の世代へ伝えたい願いと、読者の皆さんへのメッセージをお届けします。
私たちが伝えたいこと:未来の親子に向けて
「完璧な親」や「正しい子育て」は存在しません。
子どもを思い通りにできない時もあれば、親自身が立ち止まることもあります。でも、そんな瞬間こそ、支え合う力が育つとき。
障がいがあっても、体が動かなくても、「できないこと」を共有することで、家族はもっと強くつながれます。
親が弱さを見せることで、子どもは「助けたい」という気持ちを学びます。
親子で支え合う姿こそが、未来に伝えたい「生きる力」なのです。
支え合いがもたらす“次世代への贈り物”
支え合いは、目に見えない贈り物。
それは、時間をかけて心の中に根づき、次の世代へと受け継がれていきます。
子どもたちは、親の背中を見て育ちます。
「誰かに頼ることは悪くない」と知った子どもは、やがて誰かを助けられる大人になる。
支え合いの経験が、思いやりや共感という形で社会に広がっていくのです。
障がいの有無に関係なく、誰もが「支える側」と「支えられる側」を行き来しながら生きています。
その循環が続く限り、社会は優しさで満ちていくはずです。
読者とのつながりとしてのメッセージ
もし、あなたが「子育てに自信がない」と感じているなら、どうか思い出してください。
誰もが一人で生きているわけではないということを。
家族、友人、地域の人、そしてこの文章を読んでいるあなたもまた、「支え合いの輪」の中にいます。
あなたの小さな一歩が、誰かの希望になるかもしれません。
支え合いは特別なことではなく、日常の中にある“やさしさの選択”。
それを積み重ねることが、次の世代の力につながります。
締めくくりに:共に育つ旅はこれからも続く
親子の成長には終わりがありません。
できることも、できないことも抱えながら、共に歩み、共に学ぶ。
障がいがあってもなくても、支え合う姿の中には“希望”が息づいています。
そしてその希望は、世代を越えて、誰かの心に灯りをともしていく。
この先も、私たちの旅は続きます。
それぞれの場所で、支え合いながら──。
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