大学で何を学び、どのように社会に生かしたいか

 私は、この春、教育学部教員養成課程障害児教育コースに進学した。養護学校の教員免許を取得することが目的である。私がこのコースを志望した主な理由は、自身がいわゆる障害者であるということである。私は仮死状態で生まれてきたためその後遺症として現在も肢体に障害を持っている。障害者として今まで生きてきた中で、多くのハンディにぶつかりながら、さまざまな経験をし、それを通じてさまざまな考えを抱いた。その中で、この職種に就きたいと思ったきっかけとなったものの一つとして、障害者が自らの障害を人生の中でいかに受容し、いかに目標を見つけ、いかに有意義に過ごすかという課題をより深く対峙したかったからである。具体的な例を挙げるならば、私は自力では解決できない困難な状況に遭遇した時、他人に手助けを求めることに大きな抵抗を感じていた。なぜなら他人に手助けを求めることは避けるべき行為であると認識していたことと同時に、そうすることによって自分が障害者であると意識することを避けようとしていたからだ。しかし年齢が上がるにつれ、さまざまな人との関わりを通して徐々に他者の応援を受け入れることが精神的にも解決できつつある。そしてその過程の中で得たことがいかに重要であり、また自分の今後の人生に多大な影響を与えるかをつくづく感じる。実際私は、電車やバスに乗る行為や車椅子で移動する際にバリアとなる段差を超える行為など、自分一人では不可能なことを他人の手助けを求めることを厭わぬようになり、自分の行動範囲自体に広がりを持たせることができ、活発に生活をおくることができるようになった。

 この「障害の受容」という課題は言い換えるならば、健常者も含め人間なら誰しもが経験する、自己の確立期における精神的課題の一つと捉え得るかもしれない。つまり人生の途上で多くの障害者がぶつかる一つの壁であり、超えねばならぬ分水嶺であるようにも思う。私は、教育の場から自分の体験を通して彼らの手助けができればと思っている。また私は副免許として中学校の教員免許を取得し、普通学校で教鞭をとることも希望しているが、生徒として私に関わりをもつ若年層の人々に、障害、または障害者という存在を身近に感じてもらい、適切な理解を深めてもらうことに貢献していきたいと願ってのことである。(以下略)

脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

これまでの活動を振り返って、一度まとめてみようと立ち上げたのがこのサイトです。ずいぶん昔の物から最近の想いまでお伝え出来れば幸いです。

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