障害 講演|教壇に立てなかった私が「伝える人」になった理由
「障害のある人の講演では、どんな話が聞けるのだろう」
「当事者が語る言葉は、現場で本当に役に立つのだろうか」
障害 講演を探している方の多くは、そんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
私・東谷瞳は生まれつき脳性麻痺があり、教員を志しながらも教壇に立つことは叶いませんでした。しかし、その挫折があったからこそ、いま「伝える人」として講演の場に立っています。
本記事では、講演を始めるに至った背景や、講演で大切にしている考え方、実際に伝えているメッセージを、私自身の歩みとともにお伝えします。障害をどう受け止め、どう社会と関わっていくのか。そのヒントを探している方にとって、講演の価値と可能性を知る一助となれば幸いです。
障害 講演を始めるまでの私の歩み
障害のある人がなぜ講演を行うようになるのか、その背景には人それぞれの歩みがあります。ここでは、私自身がどのような経験を重ね、どんな思いから障害について講演するようになったのか、その原点となる道のりをお話しします。
生まれつきの障害と共に育った学生時代
私は生まれつき脳性麻痺があり、手足の動きや話し方に不自由があります。歩くことや文字を書くことなど、周囲と同じようにできないことが多くありました。それでも、できる限り一般の学校で学びたいという思いのもと、母の支えを受けながら学生時代を過ごしてきました。
学校生活は、決して楽なものではありませんでした。歩き方や話し方をまねされたり、心ない言葉を向けられたりすることもありました。また、助けが必要であるにもかかわらず、それを素直に受け入れられない自分に苦しむこともありました。悔しさや孤独を感じる日々の中で、「この経験にはきっと意味があるはずだ」と、心のどこかで思い続けていました。
教員を志し続けた理由
そんな私が目指したのは、教員という道でした。障害のある子どもたちが、自分らしく学べる環境をつくりたい。その思いが、進路を決める大きな理由でした。大学では障害児教育を学び、教育実習にも参加しました。車いすでの実習は前例が少なく、多くの方の理解と協力が必要でしたが、それでも一歩ずつ前に進み続けました。
「障害があっても、教える立場になれる」。そう信じて努力を重ねてきた時間は、私にとって大切な財産です。簡単な道ではありませんでしたが、その分、強い意味を感じていました。
教壇に立てなかった現実と向き合った時間
しかし、現実は思い描いていた通りには進みませんでした。教員採用試験に挑みましたが、結果は不採用でした。成績だけでは説明できない壁を感じ、自分の力不足なのか、障害が影響したのか、答えの出ない問いを抱えることになりました。
教壇に立てなかった自分には、どんな価値があるのか。そんな思いと向き合う時間が続きました。その中で少しずつ、「教える場所は教室だけではないのかもしれない」と考えるようになりました。自分の経験そのものが、誰かの気づきや支えになる可能性がある。その気づきが、後に障害について講演するという道へとつながっていきます。
教員という夢は叶いませんでしたが、伝えることを諦めたわけではありませんでした。むしろ、ここから新しい形でのスタートが始まったのです。
なぜ障害について講演をしようと思ったのか
障害について講演を行うようになるまで、私はすぐに答えを出せたわけではありませんでした。教員という夢を失い、自分の役割を見失った時間があったからです。この章では、挫折の中で生まれた思いや、障害を語ることへの迷い、そして講演という形にたどり着くまでの心の変化をお伝えします。
挫折の中で芽生えた「別の形で支える」という想い
教壇に立てなかった現実は、私にとって大きな挫折でした。これまで積み上げてきた努力が、すべて無駄になったように感じたこともあります。周囲が前に進んでいく中で、自分だけが取り残されたような感覚。心に残ったのは、悔しさと空白でした。
そんな時間を過ごす中で、少しずつ考えが変わっていきます。教員として子どもを支える道は閉ざされても、人を支える方法は他にもあるのではないか。自分の経験や言葉が、誰かの力になるかもしれない。そう思えるようになったことが、「別の形で支える」という発想の始まりでした。ここから、障害について講演するという選択肢が、少しずつ視野に入ってきたのです。
障害を語ることへの迷いと葛藤
障害について人前で話すことには、強い迷いがありました。自分の障害を語ることで、同情の目で見られるのではないか。弱さをさらけ出すことになるのではないか。そんな不安が、心の中で何度も浮かびました。
また、「自分の話が本当に役に立つのだろうか」という疑問もありました。障害のある当事者として話すことが、聞く人にとって重荷にならないか。そう考えると、言葉を発すること自体が怖くなる瞬間もありました。障害 講演という言葉の重さに、足がすくむような思いを抱えながら、自分自身と向き合う時間が続いていきました。
それでも伝えたいと感じたきっかけ
そんな迷いの中で、心を動かされた出来事があります。日常の何気ない会話の中で、「あなたの話を聞いて救われた」と言われたことでした。特別なことを話したわけではなく、ありのままの経験を伝えただけ。それでも、誰かの心に届いたという事実が、大きな転機となりました。
障害について語ることは、弱さを見せることではありません。生きてきた証を言葉にすることだと、そのとき初めて思えたのです。障害 講演を通して、自分と同じように悩んでいる人や、支える立場にいる人に、少しでも視点を届けたい。その思いが、私を講演の場へと導きました。
伝えることへの覚悟。迷いを超えた先に見えた、新しい役割。その一歩が、いまの私につながっています。
講演で私が大切にしていること
障害についての講演は、ただ経験を話せばよいものではありません。何を伝え、どんな視点を残すのかによって、聞き手の受け取り方は大きく変わります。ここでは、私が障害について講演する際に、特に大切にしている考え方をお伝えします。
成功談ではなく過程を語る理由
講演というと、困難を乗り越えて成功した話を期待されることが多くあります。しかし、私が障害 講演で大切にしているのは、きれいな成功談ではありません。悩み、立ち止まり、迷い続けた過程をそのまま語ることです。
うまくいかなかった経験や、心が折れそうになった瞬間。そうした話の中にこそ、聞く人が自分を重ねられる部分があると感じています。完璧な姿ではなく、揺れ動く気持ち。そのリアルさが、誰かの心を少し軽くすることもあります。成功よりも過程。そこにこそ伝える意味があると考えています。
できないことを無理に乗り越えない選択
障害があると、「できないことを克服しよう」「頑張れば乗り越えられる」という言葉をかけられることがあります。その言葉が励みになる場面もありますが、すべての人に当てはまるわけではありません。私は講演の中で、無理に乗り越えない選択も一つの答えだと伝えています。
できないことを認めるのは、決して逃げではありません。自分の力を正しく知り、使える場所を選ぶこと。その方が、長く前に進めることもあります。障害 講演では、「頑張り続けること」だけが正解ではないと伝えることを大切にしています。
聞き手の立場ごとに伝え方を変えている理由
障害についての話は、聞く人の立場によって受け取り方が大きく変わります。障害のある本人、家族、先生や職場の上司。それぞれが抱えている悩みや視点は違います。そのため、講演では相手に合わせて伝え方を変えることを意識しています。
たとえば当事者には、自分を責めすぎなくていいというメッセージを。支える立場の方には、完璧を求めすぎない関わり方を。どの立場の人にも、自分の役割があることを感じてもらいたい。その思いが、講演の軸になっています。
一つの正解を押しつけるのではなく、それぞれが考えるきっかけを届けること。それが、私が講演で最も大切にしている姿勢です。
講演で実際によく伝えているメッセージ
障害についての講演では、知識を伝えるだけでなく、「考え方のヒント」を持ち帰ってもらうことを大切にしています。正解を押しつけるのではなく、それぞれの立場で考え続けられる視点。その中でも、特に多くの場でお話ししている三つのメッセージがあります。
障害を受け入れるとは諦めることではない
「障害を受け入れる」と聞くと、夢をあきらめること、我慢することだと思われがちです。けれど、それは少し違います。
受け入れるとは、「今の自分の状態を正しく知る」こと。できない部分を無理に隠さず、助けが必要だと認める姿勢です。
できないことが分かれば、別の方法を探せます。人に頼る、道具を使う、目標の形を変える。選択肢は一つではありません。
諦めではなく、再スタート。その視点を持つことで、心は少し軽くなります。障害があっても、進み方は選べるという事実。
支援される側も社会を支えているという視点
支援を受ける立場にいると、「迷惑をかけているだけでは」と感じることがあります。私自身、そう思い悩んだ時期がありました。
しかし、支援される人がいるからこそ、支援の仕組みが育ち、社会はやさしくなっていきます。
困りごとを伝えることは、弱さではありません。社会に課題を教える大切な役割です。
支援する人とされる人。その関係は上下ではなく、支え合い。誰かの存在が、誰かの学びになる。そんな循環。
困難の中でも人生は形を変えて輝ける
思い通りにいかない出来事は、人生を止めてしまうように感じます。けれど、道が閉ざされたように見えても、別の道が生まれることがあります。
以前と同じ形ではなくても、自分らしい輝き方はきっと見つかる。
大切なのは、比べないこと。過去の自分や他人と競わず、今の自分に合った光を探すこと。
人生は一直線ではありません。曲がり道や遠回りも含めて、その人だけの物語。困難の中でも、物語は続いていきます。
講演は誰に届けたいのか
障害についての講演は、特定の人だけに向けたものではありません。障害のある本人、その周りで支える人、そして教育や職場で関わる人。それぞれの立場で受け取り方は違いますが、共通して考えてほしいテーマがあります。誰に、どんな想いを届けたいのか。その軸についてお話しします。
障害のある本人に伝えたいこと
まず一番に届けたいのは、障害のある本人です。
「できないことがある自分はダメなのではないか」そんな思いを抱え、苦しくなっている人へ伝えたいことがあります。
障害があるから価値が下がるわけではありません。できないことがあるのは、怠けや努力不足ではなく、体や環境の違い。そこを正しく理解することが大切です。
助けを求めることは弱さではなく、生きるための力。自分の困りごとを言葉にすることも、大事な一歩です。
今は見えなくても、道は一つではありません。進む速さも、形も人それぞれ。自分のペースで選び直していい。その安心感を届けたいと思っています。
障害のある人を支える家族や周囲の人へ
次に届けたいのは、家族や友人、身近で支えている人たちです。
支える立場にいる人ほど、「正しく支えなければ」と自分を追い込んでしまうことがあります。
けれど、完璧な支援は必要ありません。寄り添う気持ちと、話を聞く姿勢。それだけでも大きな支えになります。
本人の代わりに決めすぎないこと、できない部分だけを見ないこと。関係性のバランスが大切です。
支える人もまた、悩んでいい存在。助け合いは一方通行ではなく、双方向。その視点を持つことで、関係は少し楽になります。
教育や職場で関わる支援者や指導者へ
学校や職場で関わる先生、上司、支援者の方々にも強く伝えたいことがあります。
それは「特別扱い=甘やかし」ではないという考え方。
合理的配慮とは、その人が力を発揮できる環境づくり。全員を同じにすることではなく、それぞれに合った形を探すことです。
障害のある人を「できない人」と決めつけず、「条件が合えば力を出せる人」として見る視点。
一人の理解が、場の空気を変えます。教育現場でも職場でも、小さな配慮が大きな安心につながる。その可能性を、講演を通して伝え続けています。
講演を通して目指している未来
私が障害について講演を続けているのは、今の社会を否定したいからではありません。少しずつでも、見方や関わり方が変わっていくことを願っているからです。講演を通してどんな未来を描いているのか。その方向性をお伝えします。
障害が特別視されすぎない社会
目指しているのは、障害が「特別なもの」として扱われすぎない社会です。
障害があると、良くも悪くも注目されやすくなります。かわいそう、すごい、頑張っている。そのどれもが、本人の気持ちとズレることがあります。
障害は、その人を説明する一部分にすぎません。性格や好きなこと、得意なことと同じように、数ある特徴の一つ。
必要以上に線を引かず、過度に持ち上げないこと。自然に存在できる空気。
「障害があるから」ではなく、「その人だから」。そう見られる場面が増えることを願っています。
違いを前提に支え合える関係性
人はみな、違いを持っています。体の動き、考え方、感じ方。完全に同じ人はいません。
それなのに、同じであることを求めすぎてしまう社会。その息苦しさを変えたいと考えています。
違いがある前提で関わると、無理が減ります。できないことを責めるのではなく、どう工夫するかを一緒に考える関係。
助ける人、助けられる人と固定しないことも大切です。状況が変われば、立場も入れ替わります。
お互いに頼り、頼られる関係性。特別な優しさではなく、日常の中の当たり前としての支え合い。その広がりを目指しています。
一人ひとりが自分の役割を見つけられる社会
誰かと同じ役割を果たせなくても、価値がなくなるわけではありません。
私は、教壇に立つという夢を手放しましたが、「伝える人」として別の形で社会と関わる道を見つけました。
役割は一つではありません。途中で変えてもいいし、複数あってもいい。
今できること、今の立場だからこそできること。そこに目を向けることで、自分の居場所が見えてきます。
障害の有無に関係なく、一人ひとりが社会の一部として役割を持てること。
その実感が、生きる力につながる。講演を通して、そんな未来への小さなきっかけを届けたいと考えています。
教壇に立てなかった私が今「伝える人」である理由
教員になる夢は叶いませんでした。それでも私は、今も人に伝える仕事を続けています。教壇に立たなくても、伝えられることはある。その確信が、現在の講演や執筆につながっています。ここでは、私が「伝える人」になった理由をお話しします。
言葉だからこそ伝えられる経験がある
障害のある当事者の経験は、目に見えるものだけではありません。できなかった悔しさ、周囲とのすれ違い、自分自身を受け入れるまでの時間。こうした内側の出来事は、行動だけでは伝わりにくいものです。
だからこそ、言葉にする意味があります。
うまく話せない日があっても、書くことで整理できる思いがある。話すことで、誰かの心に届く瞬間もある。言葉は、経験を共有するための大切な手段です。
講演では、成功した結果よりも、その途中にあった迷いや選択を丁寧に伝えています。聞いた人が、自分の状況と重ねて考えられるように。そのための言葉選びを心がけています。
講演と執筆が私の生き方になった
教壇に立てなかったことで、私は一度立ち止まりました。しかし、その時間があったからこそ、自分にできる形を探し続けてきました。
講演と執筆は、私にとって仕事であると同時に、生き方そのものです。
誰かに評価されるためではなく、自分の経験を必要とする人に届けるための活動。学校、企業、地域など、場が変われば求められる言葉も変わります。その都度、相手の立場を考えながら伝えることを大切にしています。
障害について語ることは、自分自身と向き合い続けることでもあります。楽な道ではありませんが、続ける価値のある選択。今の私を形づくる軸となっています。
講演を続ける意味と覚悟
講演を続けるには、覚悟が必要です。きれいな話だけでは済まない場面もあります。誤解されること、簡単に理解されないこともある。それでも伝え続ける理由があります。
それは、かつての私のように、立ち止まっている誰かの存在です。
自分の進む道が見えず、不安を抱えている人。支える立場で悩んでいる人。そんな人たちに、「別の形もある」と伝えたい。
教壇に立てなかった経験は、決して無駄ではありませんでした。その事実を、言葉で示し続けること。
それが、今の私が「伝える人」として障害 講演を続ける理由であり、向き合い続ける覚悟です。
0コメント