21.障害があっても、不幸じゃないと言える理由
「大変でしょう」
そう言われることは、少なくない。
心配してくれているのはわかる。
悪気がないことも、ちゃんと伝わってくる。
でも、その言葉に、少しだけ違和感を覚えることがある。
——本当に、そうなのだろうか。
たしかに、不便なことはある。
できないこともあるし、
時間がかかることもある。
思い通りにいかない場面だって、たくさんある。
それでも、「不幸か」と聞かれると、
すぐにはうなずけない。
Flowerでの話し合いの中でも、こんな言葉が何度も出てきた。
「大変だけど、不幸ではない」
その言葉には、どこか静かな実感があった。
無理に前向きになろうとしているわけでもなく、
現実を軽く見ているわけでもない。
ただ、自分の毎日を、そのまま受け止めた上で出てきた言葉のように感じた。
では、なぜそう言えるのだろうか。
一つは、「この体が当たり前だから」という感覚かもしれない。
生まれたときから、ずっと一緒にあるもの。
この体で過ごす日常が、自分にとっての基準になる。
だから、「他の状態と比べてどうか」というよりも、
「この中でどう生きているか」が大切になってくる。
また、人とのつながりも大きい。
支えてくれる人がいる。
一緒に笑える人がいる。
その存在が、日々の中で大きな意味を持つ。
「助けてもらうこと」を通して、
やさしさや温かさに気づくこともある。
それは、決して当たり前のことではない。
そしてもう一つは、「経験」かもしれない。
うまくいかなかったこと。
悩んだこと。
立ち止まったこと。
そうした一つひとつの積み重ねが、自分の中に残っていく。
その中で、少しずつ見えてくるものがある。
人の気持ちに気づけるようになったり、
小さなことに喜びを感じられるようになったり。
もし違う人生だったら、気づかなかったかもしれない感覚。
それが、自分を支えていることもある。
もちろん、「だからよかった」と簡単に言えるものではない。
つらいことがあるのも事実だし、
「なぜ自分が」と思うこともある。
「得したこと」だけではなく、「しんどさ」も確かにある。
それでも、「不幸ではない」と言える理由は、
その両方を抱えながら生きているからなのかもしれない。
良いことだけでもなく、悪いことだけでもない。
その間で揺れながら、それでも毎日を過ごしている。
その積み重ねの中に、自分なりの意味が生まれていく。
幸せかどうかは、誰かが決めるものではない。
外から見て判断できるものでもない。
その人自身が、どう感じているか。
それが、すべてなのだと思う。
障害があるから不幸、
障害があるから特別に幸せ。
どちらでもない。
ただ、その人の人生が、そこにある。
そう考えたとき、
「障害があっても、不幸じゃない」という言葉は、
少しだけ自然に聞こえてくるのかもしれない。
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