22.「得したことがある」と言える人生

「障害に触れて、得したことってある?」

そんな問いを投げかけられたとき、

すぐに答えられなかった。

得したこと。

そう言われると、どこか引っかかる。

不便なこともあるし、

つらい経験もしてきた。

できなかったこと、あきらめたこともある。

それでも、「得した」と言えるのだろうか。

Flowerの中で、このテーマについて話し合ったとき、

いろいろな意見が出た。

「たくさんの人に出会えたこと」

「人のやさしさに気づけたこと」

「一人にならない感覚があること」

最初は少し意外にも感じた。

でも、その一つひとつの言葉には、

その人が歩いてきた時間がにじんでいた。

たとえば、何気ない会話の中で生まれたつながり。

見知らぬ人から声をかけられた経験。

誰かと一緒に笑った記憶。

そうした出来事は、小さなものかもしれない。

でも、それが積み重なって、

その人の中に残っていく。

また、こんな意見もあった。

「つらい経験をしてきた分、心は強くなったと思う」

その言葉は、無理に前向きになろうとしているようには聞こえなかった。

むしろ、これまでの時間をそのまま受け止めた上で、

そこから見えてきたものを静かに言葉にしているようだった。

もちろん、「得したことがある」と言うことに抵抗を感じる人もいる。

「そんなふうに思えない」

「今はまだ、そこまで考えられない」

それも、とても自然なことだと思う。

無理に意味を見つけようとしなくてもいい。

すぐに答えが出なくてもいい。

でも、時間がたったとき、

ふと振り返ったときに、

「あの経験があったから、今があるのかもしれない」

そう思える瞬間が、訪れることもある。

それは、大きな出来事ではないかもしれない。

ほんのささやかな気づきかもしれない。

でも、その気づきがあることで、

これまでの出来事の見え方が少し変わる。

「つらかったこと」だけで終わらずに、

そこにもう一つの意味が重なる。

「得したことがある」と言える人生。

それは、すべてがうまくいった人生という意味ではない。

むしろ、思い通りにいかなかったことや、

悩んだ時間も含めて、

「それでも、何かが残った」と思える人生なのかもしれない。

何を得たと感じるかは、人それぞれ違う。

でも、その人にしか見えない価値が、

確かにそこにある。

そう考えたとき、

人生は少しだけ、やわらかく見えてくる。

すぐにそう思えなくてもいい。

でも、いつかどこかで、

「得したことがある」と言える瞬間が訪れるとしたら。

その可能性を、どこかで信じていてもいいのかもしれない。

脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

障害のある私だからこそ伝えられる…そんな想いを発信するホームページです。

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